カテゴリー「心のコンテンツ」の記事

black or white

マイケルジャクソンの曲を、やはり最近聞いている人の一人です、俺。

BLACK OR WHITE という曲名から、よく「白黒つける」というが、そのことについて考えた。

曲とは関係ないが、白黒つけるというのは大事だが、なんでもそれで考えてはいけない。

ミスチルはGIFTという歌で「白か黒かで答えろという難題を突きつけられ」とか白と黒の間には無限の色が広がっているじゃないか、その色のどれかでいいよね なんてなことを言っている。 

白か黒はデジタルで言えば1か0ってことになるだろう。世の中はデジタルになって、わかり易くなった。が、何でも「割り切れる」わけじゃない。むしろ割り切れないことの中に大事なものはあるとも思う。なんて考えて割り切れない気持ちだ(笑)。ちなみに、白か黒かという考え方は(心から)病気になりやすいと思う。

白と黒とは別の捉え方だと、表と裏ってことにもなると思う。表と裏なので、コインとかのように、相容れない感じがある。その感じとは違い、表と裏というか陽と陰が1つに表されるのが中国の陰陽思想。それが画になると、タウン&カントリーのロゴになる。↓

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表であり、裏という感じだろうか。

さて、マイケルジャクソンの BLACK OR WHITE は 「君が僕の大事な人を思ってくれるなら、君が白だろうが黒だろうが関係ない」というような。というより、色々違いはあるけど、根本的に人間同じじゃないか?という意味でしょう。曲のプロモでモーフィングという技術を使って、顔が様々な人種の人たちに変化する所あたりがそういうメッセージを含んでいるように思う。また、様々な国の人達とDanceしているところも。そして、曲のプロモの最後で、そういう差別を生み出すものこそ悪みたいな感じなんですかね。

http://www.youtube.com/watch?v=J2k1j62-wkg

そのようなメッセージソングなどがあるマイケルジャクソンですが、かみさんに聞いたら、顔が白かったのは病気だったのだという。それについて確かに書いてあるブログもいくつかあった(その1つ↓)。

http://yuuki-rinrin.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-f40e-1.html

僕も「白人に憧れて、白くなった」というメディアの噂?を普通に受け入れていた為、やっぱスターは変人だなぐらいにしか考えていなかった。。

果たして、全く真偽はわからないのだけど、外見で人を判断することの恐ろしさを強く感じた。今、読んでいる「重力ピエロ」の言葉じゃないけど。

マイケル・ジャクソンって等身大で自分の経験した苦悩を歌詞にぶつける純粋さがあったのじゃないかな。世界を癒したいって気持ちもマイケルの本当の一面だったと思うよ。

いずれにしても、その歌と踊りは改めてすごいと思った。

踊りと言えば、忘れらない言葉があるのだけど、

「ロックとは悩みながら踊ること」

と、シアターブルックのタイジが、あるライブで、ザ・フーというバンドのピート・タウンゼントという人の言葉を紹介して言っていた。

「ロック」を「人生」に置き換えて、「人生とは悩みながら踊ること」とも言えるんじゃないかなとか思った。

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NHKスペシャル「うつ病治療 常識が変わる」 を見て

NHKのうつ病の特集ということで、見てみました。

僕自身は過去にうつ病を経験しているし、家族が当事者であるので。

やはり、かかる医者によって、その人の人生が大きく左右されてしまうのは、怖いことだと思う。

僕自身は、セカンドオピニオンとしての一回だけの診療を含めると、5つの病院の診断を受けたことになる(セカンドオピニオンとは現在、自分が受けている治療が妥当かどうかを別の医師に聞いてみるということ)。また、臨床心理士にカウンセリングを受けていた時期もある。

自分が病気であった、2000年~2005年あたりには、HPを開設していて、更新の頻度も多かったので、「心のコンテンツ」というものを書いたりしてた。

この記事を書いていた当時に考えていた事が、今日の番組で話題になっていた事と結構重なることを考えると、おそらく10年経っても日本の精神医療はそれほど進歩していないということなんじゃないかと、残念だ。むしろ、患者の増加が、クリニックの乱立を招いて、悪化しているのかもしれない。

番組の中でも紹介されていたけども、カウンセリングの相場は高い。これに国がテコ入れをして、認知療法などの精神療法が安価に受けられるようにすることは、薬に頼りっきりの精神医療では重要だと思う。これに加えて、食事療法や行動療法、東洋医学的な体からのアプローチなど、総合的なアプローチが可能になればよいのになと思う。

そして、もう1つの重要な要素は患者の周りの人間の積極的な治療参画かもしれない。番組を見ていて、「医師が診察だけでは情報が足りない」といっていたのはまさにその通りだ。考えてみれば、、心の病を患っている当人の言葉だけで診察が成り立っていること自体、おかしいような気もする。ここには客観的な患者の状態を伝える人がいない。

番組の出演者の方が言っていたように、患者同士やその家族がコミュケーション出来る場があって、情報を共有すれば、色々なメリットがあるというのは確かだと思う。僕自身はその場としてインターネットを活用して、色々なコミュニティに参加したりした。うつ病では、当人の行動力が落ちている状態である為、気軽に使えるインターネットは便利だろう。また、匿名でコミュニケーションが開始できることも、いい悪いは別にして、参加しやすいものになると思う。ただし、インターネットでのコミュニケーションには注意点もある。インターネットでのコミュニケーションは、チャットやメールや掲示板などがある。これらのツールを電子メッセージと呼ぶとすれば、この電子メッセージが元々もっている問題点には注意しておかないといけないとは思っている(「電子メッセージ」)。

番組に出ていた姜尚中氏の本を読んでみたいなと思った。AERAなんかで、記事を読んだことがあったと思う。

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相談

いじめについてニュースで毎日目にする。

最近、そのことをちょろちょろ考えている。

学校がいじめがあったことを認識していなかったり、隠していたりしたということで相当に非難されている。しかし、今の学校の先生も相当大変だ。僕の知り合いの中学生ぐらいの子供がいるお母さんの話を聞くと、学校には精神病になって休職しているという先生が大抵いる。僕の友達で教師をやっている人もやはり、精神的にマイってしまった時期があった。

いじめが起きると何故か学校が悪いという風になっている気がするが、それよりも問題はいじめられていることを親に相談できない家庭じゃないだろうか。子供の個性を尊重して、先生の言葉が強さを持たなくなってしまっている。家庭では個性の尊重がそのまま放任になってしまっているのかもしれない。親子のぶつかり合いがあってこそ親子ともに成長して、信頼関係を築いていくのかもしれない。いじめられていることを誰にも相談できないというのはいずれにしても相当しんどいだろうと思う。

いじめというのは学校からなくせるのだろうか?。社会に出てもいじめはやはりあると思う。また、いじめと嫌がらせというのはどう違うのだろう?。クラス全部が一人を攻撃するからいじめ?。数人なら嫌がらせ?。そこら辺がわからない。嫌がらせとそう変わらないのなら、言葉がパワーハラスメントやらセクシャルハラスメントやらと変わっているだけで、会社でも起きている。また、デマ報道などから社会的ないじめにあった人だっている。

僕のいじめについての経験では、一番記憶に残っているのは高校の頃。いじめられている奴を自分もいじめろと命令された時に拒否した為に自分までいじめられた経験がある。ちなみに、そのクラスにいた奴らは一人も友達とは思っていない。仮に同級会があるといわれても、欠席と即答するだろう。このときは学校に行くこと自体が憂鬱で仕方なかったし、それを親に相談したことも覚えてる。今考えると、無理して学校に行かなくてもよかったんじゃないかと思う。その時の担任の先生は、もうクラスも終わりというくらいの時期になって初めていじめがあったことを知り、泣きながらクラスの全員といじめについて議論する場を設けていた。

追記

いじめられている子が先生に相談していたのに、何もしてくれなかったということもありますね。。いじめが表面に出ると学校としての評価うんぬんという話があるようですが、それは置いといて、自分がいじめを受けている子供に相談されたら、何と答えるでしょう?。僕が最近何かの記事で読んだ内容だと、「立ち去る勇気を持ちなさい」と答えるという子供のいる女性の言葉がありました。僕もそれもありかなと思います。例えば、体育の授業でバスケットボールをしていたとします。いじめがあり、一人の子にパスのフリをしてボンボン周りがボールをぶつけたとして、その子は授業をボイコットして、家に帰ってしまってもよくないですかね?。仮に次の日から登校拒否したとしてもいいんじゃないでしょうか?。別にかならず6年で小学校を卒業しなきゃいけないわけではないし、中学も高校も同じだと思います。結局社会に出るタイミングが若干ずれるだけかと。社会に出てしまってから、その差ってどんな意味があるでしょう?。

また1つ、思い出したいじめの記憶があります。それは小学校の頃。音楽の授業の時にクラスのほとんど全員で音楽の先生をからかって、授業をボイコットみたいにしてしまったことがありました(先生をいじめた)。その時はそれを知った担任の先生がクラス全員を涙しながら、げんこつだか平手で殴りました(男の先生でした)。その時は、殴られた痛みよりも、自分達のしたことの過ちでクラスの多くの生徒が泣いていました。怒られて当然のことだし、何故か怒られて安心した気がします。僕はその先生が担任で今でもよかったなと思っています。今はこんな風に叱ってわかりあったり、本気の気持ちが手を出すことになっても、それが愛情の証だと感じられる時代ではなくなったのか、わかりませんが。。

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電子メッセージ

先日、知り合いと朝から携帯で長電話した。

最初は、酔っ払って電話してきたのかと思ったが、そうではないらしい。腐りかけのゴーヤは食ってるが、酒は飲んでないと本人は言っていた(笑)。色々話しているうちに会いにきてほしいということだったのだが、ちょっとそこまで時間がなくて辞退した。営業の仕事をしている人だからか、人は会ってナンボだと話していたのだが、僕も全くその通りだと思う。

最近は電子メール、携帯メール、チャットで人は簡単にコミュニケーションをとることができる。これはカップラーメンを作るよりも簡単に手に入るコミュニケーションだ。しかし、それ故に取り返しのつかない事をしてしまう例もよくある。よく思い出すのが、長崎の佐世保の事件。小学生が同級生の女の子を殺害してしまった事件だ。あれはとあるコミュニケーションサイトでの掲示板の書き込みが憎しみを増加させてしまったように思う。もしも、ネットを介してのコミュニケーションには注意を必要とする事がわかっていれば避けられたかもしれない。また僕の最近の身近な例だと、前の会社のSEがプロマネに非難のメールを書いて送った為に、1時間ほど電話で説教された。本人は笑っていたが、ワザとにしても非難をメールにして送信するのはまずいと思った。僕もいくつかの失敗をして色々わかったことがある。

それは

1.文字でのコミュニケーションは誤解を生みやすい。

2.直接会って会話しているのと違い、感情的になった際に敵意むき出しの発言になる。

3.大事なことはメールやチャットでは伝わらない。

4.手紙と違って、大抵の人が推敲しない(特にチャット)。

5.相手のその時の都合に関係なく、メッセージが発せられる。

と、あげられる。

1は正確に自分の言いたいことを伝えるには文章を書きなれてないとならないということ。言い回し1つで結構誤解を生んでしまう。メッセージを受け取る人の側に立つ想像力も要求される。

2は直接会っては言えないような酷い事をいいっぱなしの電子メッセージなら、簡単にいえてしまうこと。僕が言われたときに相手に「それ、実際に俺が目の前にいたら言える?」と聞けば、大抵の人が「いえない」と言う。直接会っている時には、目や耳からもっと色々な相手の情報が入るので、言葉にはもっと配慮がなされるのは当然。

3は簡単な例を挙げれば、好きな人に告白することなど。電子メールや携帯メールでの告白など、無視されてもしゃーないと思う。電話や手紙もあるけど、やはり直接いったらそうとうなインパクトだ。それだけ電子メッセージは軽い。

4は1にも2にも関係しているが、電子メッセージは直接会って言葉を発するのと違い、メッセージを出す前に推敲されないことが多い。しかし、一度発信されたメッセージは取り消しはきかない。簡単に人を傷つける。

5は直接会っていれば、相手の状況などから今はかけるべきでない言葉だと判断できたりするが、電子メッセージはそんなことはおかまいなしに発信される。発信する側はタイミングをはかることなどできない。

電子メッセージはとても便利なものだ、これを使わない手はないと思う。しかし、感情を乗せてメッセージを発するのは相当注意がいる。というか全く向いてない。また、電子メッセージなら自分の本性が出せるっていう人がいるけれど、僕がみるとそれは本来の人というより、本能の欲求に従ったケモノみたいな感じで、人間性を失っている。人と会っているとすれば、目の前でパンツを脱いでる感じ。また、本当に相手のことを思っているのなら、電子メッセージなんて軽い手段を使っているのをみると、最近の僕には馬鹿らしくみえてしまう。簡単に発せられるだけ軽さは否めない。

と、電子メッセージというツールで色々な失敗をしている僕の感じてることをまとめてみました。

関連トピック

インターネットは空っぽの洞窟

テクノロジーと人間性

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ゆるゆる

東京駅での待ち合わせ。

田舎から出てきたおじさんは携帯なんてものは持っていなかった。

その日は親戚の子供の披露パーティに出席する予定だったのかな。でも、結局うまく待ち合わせで会うことができなかったから、田舎にトンボ帰り。

それを聞いたおじさんの息子は、

「そういう風に何でもきちきち行かないこともある。そういう無駄も大事だと思うよ」

といっとった。

僕も大事だと思うのだなあ。そういう無駄。なんでも効率よく行くことがいいことじゃないって思う。予定通りに運ばないことがあるから、面白いんだと思う。そこにドラマがあるに違いない。

思い通りに行かなくても、そんなに腹を立てたり、焦ったりしなくていいんじゃない?

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言葉

文句を言うのはもうやめよう 不平不満を語るのはよそう

僕が私が自分から変われば 君の世界が変わっていくよ

どんなに汚い社会の中でも 汚れないで磨いてゆこう

僕たちだけは私達だけは どんな場所にいても常寂光土

(Def Tech:「No Complaints」の歌詞)

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仕事はアタマ

新しい会社に転職して一ヶ月、なんだかかなり仕事に対してやる気がなくなっている状態になっていたりする僕が、あえて仕事に対してやたら前向きなことを書いてみようかと思います(何でなんやろ(汗))。「仕事はアタマ」とは僕が一番最初に就職した会社の課長がいっていた言葉です。その課長はその頃40過ぎの独身、頭の薄いおっさんで、抑うつ状態になった僕を山登りに連れ出したりした人でした。見事に逆効果でしたが、それはその人の励ましだったのでしょう。それはさておき、「仕事はアタマ」とはもちろん、頭でやるものだという意味ではありません。「(あ)明るく、(た)楽しく、(ま)前向きに」の3つの頭文字です。どうせやるなら、そんな風にやろうよってことなのですが、それができれば苦労しない、ということで終わってしまいそうですが、あえてこれよりさらに前向きなことを書いてみようかと思う次第です。。

今日、ネットのお悩み掲示板なんかでは仕事が嫌で仕方ない、会社にいくだけの毎日で人生の意味を感じられない、社会が怖いなど、色々な深刻な相談を見ます。仕事は生活を維持するために金を稼ぐためにやるものだから、つべこべ言わずにやらなきゃならないんじゃああああああ、ということで終わらせたくない今日この頃、かなり理想的なことをぶちあげてみようと思います。

まず、「仕事は給料をもらう為にやる」という考え方をやめます。幼少、学生時代を経て人間は成長します。人は何の為に教育を受けるのだろう?、と考えます。もちろん基本的人権です。ですが、ここで設定する結論はそれに加えて、社会貢献をできる能力を身につけて、仕事を通して世の中の為に働き、人々を幸せにするためなのです。自分がしていることが人の役に立っている、人々を助けていると考えたら、仕事は感動があり、楽しいのです。そして、人を幸せにする為に働いている人は自分も幸せになるのです。なので、給料は後からついてくる、数字で自分の仕事を評価されただけの他愛もないものなのです。なので、金を稼ぐことは仕事の目的ではありません。仕事とは自分の幸せ(充実感)を得るための場にすぎません。

と、かなりぶちあげてみましたが、こんな風に思えるわけないですね(汗)。むしろ毎日嫌なことの繰り返し。愚痴も出る出るってな感じなわけです。しかし、それでも忍耐強く仕事を続けていく為には、きれいごとと言われ様が、上に書いたような自分の仕事が世の中の人の役に立っているという実感が多少なりとも感じられて、感動があればいいのだと思います。

って、なんだか仕事のやる気が失せてるおいらが書いても全然説得力がなーい・・・。

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Oz君へのレス

リネで知り合ったOz君が、もうやめようかな といことで書いたレス。

ここにも貼ってみます。

他にやりたいことがあるのはいいことだねー。戻るか戻らないか、そんなことはどうでもいいよ。これが「LINE AGE」(ネットで繋がる時代)の現象だ。でも、僕と君が新宿の飲み屋であったことは現実だ。いい経験をさせてもらった。なんて、これから先全く関わらないかどうかもわかりはしないところだけどね(笑)。
僕はあまりにも忙しく悶々と仕事をしているから、リネに展開される全然関係ない部分を今は少し利用させてもらっているんだ。たった30分でも、別のことしたいみたいな。。なによりもネットであれ、人とくだらない馬鹿話するのって楽しいしね。だから、くだらない話につきあってくれてる同盟のみんなには感謝してるよ。

・エ○ルナさんを初め、僕のくだらない血盟・同盟チャットにつきあってくれるメンバーに感謝。

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今日も

中央線が遅れてる。
電車は遅れるもの。
システムはトラブルを起こすもの。
そして、人はあやまちを侵すもの。
常識だと思う。
ホームで電車を待つ乗客に大声で謝罪と状況説明している駅員がやけにかっこよく見えた。

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自動改札

自動改札が誤作動すると、自分が悪いのかと思う人と、怒りを感じる人といますが、僕は怒るほうです(汗)。なんつーか、馬鹿にされた気がするんですよね。何でかなと色々と考えていたんですが、どうもインターフェースということに落ち着いた感じです。ATMを使う人にしても、自動改札を通過する人にしても、使う人は様々です。せっかちな人もいればのんびり屋の人もいるし、気分の乗ってるときもあれば、落ち込んでいるときもある。また、男性、女性、子供、大人、障害を持った方。などなど。でもそんなことをおかまいなしに、自動改札やATMは相手を画一的に「ユーザー」として扱うのです。人に優しい感じがするわけがない。。

話しは変わって、女性専用車両って女性は痴漢の被害に会わないし男性はあらぬ疑いをかけられずに済むという点で効果はありますね。でも、いつも乗ってた位置の車両が女性専用車両になってしまった僕としては、少しずらして電車にのるため、毎朝女性専用車両をみるのですが、違和感を感じて気分悪いです。反対というほどではないけど、不自然さは否めません。そんなことより、根本的に満員電車を何とかして欲しい。そうしないと仕事行く段階で疲労して意欲を失ってしまう。通勤という部分で挫折して労働から離れてしまう人もいるのかもしれないなーとか思います。ところで、女性専用車両では電車男のようなロマンスは生まれません。

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リーダー

僕のリーダーのイメージは上から皆を引っ張っていくのではなく、下から皆を支えるイメージ。なんでこんなこと考えるかというと、今の仕事のプロジェクトサブリーダーとよく口論したりしてるから。というか、そいつが人を馬鹿にしたような口のきき方するからね。僕もムカツクわけですな。いずれにしてもメンバーのモチベーションを下げるような言動をする奴はいりません。リーダーでそんな奴は言語同断です。

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人の価値

学生の頃は偏差値という数字でその人の優秀さが計られた。これは最近、なくしていく方向にあるとかいう感じなのかな。このところの成果主義で転職サイトが幅を利かせる最近は、社会人になると年収という数字でその人の優秀さが計られることになっている。資本主義社会では当然の成り行きだが、お金が稼げるという一点だけでは人間の価値は計れない。

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玄米

「食事で治す心の病」の本、少しずつ読み進んでいます。

昨日はあるエピソードのことでした。

精神病で入院している患者に食事療法を思いついた栄養士さんが、院長の許可をもらって玄米正食という食事に切り替えたところ、その食事をしていた患者さん全員が治ったというお話です。このことは論文にして学会に提出しようとしたのですが、さまざまな妨害が発生し結局葬り去られたということです。さんざん薬漬けにされた患者が、食事を見直したことによって、改善したという例もままあるということです。

精神病に対する東洋医学的アプローチの有効性を少なからず体験している僕としては食事療法で精神病が改善されるというのはすんなり受け入れられる考え方です。

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いただきます

食事の前の「いただきます」、これは料理を作ってくれた人に対して言うものなのだと漠然と思っていました。が、最近は食べ物に対する尊敬の念をこめて言われる言葉ではないかと思っています。大地・自然の恵みに感謝の意をこめて「いただきます」。これを人間は忘れてはいけないのだと、そう考えています。もちろん、農業などに従事する方への感謝も忘れずに。

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囚われた魂

昨日は私用ででかけ、府中刑務所の横を車で通った。かつて、自分が入院した精神病院の保護室なるものはそれこそ刑務所の独房みたいなとこであったなと、思い出した。牢獄といえば、以前一人暮らしをしていた時に、一人でぼーっと「魂の牢獄」ということを考えていた。いくら心や体が健康でも、魂が不自由じゃしょうがないなと。自由な国の不自由な魂。いきいきとした魂の中にHAPPYはあるのだろうな、と。

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言葉

かないもしない夢を見るのはもう やめにすることにしたんだから
今度はこのさえない現実を 夢みたいに塗り変えればいいさ
そう思ってるんだ 変えていくんだ きっとできるんだ

(Mr.children:「蘇生」の歌詞)

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言葉

「歴史は破産するまで終わらないゲームなんだ。
 多分、間抜なサルがはじめたに違いない。
 昔へもどれだと?、道は一本きりではないか。
 大切なのは自分の立場をみつけることだ。
 そこで何をやるべきか、何をやるべきでないかを考える。
 本物の目玉は鼻の上についている一組分、それだけだ。
 そこからみてみろ、何がみえる?」
 
「女のケツ」
 
「お前のはフシアナだ」

(映画「オネアミスの翼」:シロツグと将軍の会話)

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言葉

空を飛ぶあのワシより高く
あの木の根よりずっと奥深く
母より優しく
父より強く

(シアターブルック:「ドレッドライダー」の歌詞)

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言葉

投げられた石は地べたに落ちる 
当たり前のことだな
この石を地面と水平方向に加速してやる 
ずっと遠くに落ちる
これをさらにうんと加速する
その石の速度がある一点を超えた時 
地平線の向こう側に果てしなく落下し続けるようになる

これが人工衛星だ

あげるんじゃない 
地球の丸みに沿わせて落っことすんだ

・・・

つまり我々が日夜取り組んでいるこの最新の機械は
落下するために上昇するだけの全くなんでもないしかけだ
でも俺はこいつのなんでもないところが気に入ってるんだ

(映画「オネアミスの翼」・シロツグのセリフ)

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言葉

太陽の光あびて 背中にあびて冬と戦う
太陽の光が風のように 俺の背中を優しく押してくれる

・・・

青空の月よ 俺のこと見守ってください
朝焼けの星よ 俺に力わけてはくれないか

(シアターブルック:「俺の手にはギター」の歌詞)

 

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口笛ふいて

このあいだ、何だったか忘れたけど、NHKのテレビで子供の登下校中の過ごし方みたいなのを見た。色々と登下校中の過ごし方何かをネットの掲示板に書いた題材を元に話していた。その中で自分で作った歌を歌いながら、通学しているというのがあった。これは日々起きている嫌なことや悩み事などを歌にして歌うのだそうだ。この点、俺は今の子供も俺も似たところがあるなーと思った。俺も社会人で一人暮らしの時は、部屋でよく歌を歌っていた。やりばの無い気持ちを、そのときの気持ちに合う歌を歌うことで解消していたんだと思う。よく歌っていたのはシアターブルックの曲が多かったなと思う。

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言葉

行ないは自分のもの、批判は他人のもの。
おれの知ったこっちゃねえ。

(勝海舟の言葉)

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言葉

過去は消えないだろう 未来も疑うだろう 
それじゃ悲しいだろう やるせないだろう

(イエローモンキー:「楽園」の歌詞)
 

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久しぶりの更新

どうも記事を書くまでのモチベーションがなく、更新ができないブログです。。
思いついたたのが、自分の印象に残った言葉を書いてみたらどうかと。
映画のセリフ・本・音楽の歌詞などから書いたみようかと思います。
それについての引用元以外の説明は全くしないんですけどね。。
で、さっそく今回のです。

「愛とは行動すること」
(ヴィクトル・ユゴーの言葉から)

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煩悩やら、なんやら

ここ最近、街中で楽しそうにしている人を見ていると、憂鬱な気分になるので、俯いて歩いていました。が、色々と過去の日記を読みながら反省していたら、思い出しました。街中歩いている人達にもそれぞれ、「苦悩」はあるんだと。人は外見ではわからないものなのだ。とてつもない苦悩を抱えながら、笑っている人もいるのだ。また、浜崎あゆみの歌詞には「楽しそうに手をつないで歩いているカップルのその実は二人にしかわからないよね」というようなのもあります。

煩悩という言葉があります。これはなぜか欲を連想させる。マンガとかの影響のなのかな。でも、煩悩とはすなわち苦悩のことです。私の知っている仏教の言葉に「煩悩即菩提」(ぼんのうそくぼだい)という言葉がありますがー。簡単に言えば人は苦悩した分だけ優しくなれると贈る言葉にも出てくる歌詞のようなことです。もう少し難しく言えば、苦悩した分だけ人間に深さが増すって言うんでしょうか。「境涯が広がる」なんて言葉が一番ぴったりですかね。

日記読み返して思いましたが。WEB日記つけている人は、何もフィルターかけてないプライベートな日記もつけた方がいいかと思います。WEB日記はやっぱり日報で、日記じゃないと思います。diary(ダイアリー)とjournal(ジャーナル)の違いというか。ともかくフィルターかけてあると、読み返すときに思い出せませんよー。どうあれ、日記を書くのはいいことだと思います。

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インターネットは空っぽの洞窟

という本を書いた人が書いた本を少し読んでいる。教育ソフトやインターネットでコンピュータを使用した子供の教育に警告をするものである。

それと少なからず関係するが、早い時期からインターネットに子供が触れることに私は疑問を感じる。インターネットする時間で得ることより、その貴重な時間で失う事の方が多いのだ。間違いない(長井風)。貴重な子供の時代に、インターネットの洞窟で迷うのはもったいない。

パソコンできなきゃ就職が大変なんだし、なんて親もおるかもしれません。でも、そんなもん覚えるのに半年もかからないですよ。ある程度の判断のできる年齢からで十分でしょう。

自分の子供(小学生ぐらいかな)が2ちゃんねる見ていたら、どう思います?

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